作者、モンゴメリー

ルーシー・モード・モンゴメリー(1874-1942)はプリンスエドワード島のクリフトン村(現在のニューロンドン村)で生まれた。

1歳9カ月の時に 歳の若い母親が肺炎で亡くなり、モンゴメリーはキャベンディッシュに住む母方の祖父母に引き取られた。

1890年、彼女はアルバータ州のプリンスアルバートに住む父と継母のところへ行くが、継母との折り合いが悪く、1891年にはプリンスエドワード島へ戻った。

1894年にシャーロットタウンのプリンスオブウエールズカレッジを卒業し、教師の一級免許を取得。プリンスエドワード島のビデフォードに初の教師として赴く。

その後、ハリファックスのダルハウジー大学で1年間学び、再び島に戻り、2番目の赴任地ベルモントで教えた。

1898年、祖父が亡くなったため、キャベンディッシュに戻り、祖母と一緒に 年間、郵便局の仕事を手伝いながら生活する。

1901〜1902年の1年間ハリファックスのデイリーエコー紙で新聞記者を務めた以外は、祖母が1911年に亡くなるまで祖母と一緒に暮らすことになる。
1903年、ユーアン・マクドナルド牧師がキャベンディッシュの長老派教会に赴任し、1906年モンゴメリーと婚約。5年後の1911年、ふたりは結婚した。

その間、モンゴメリーは短編ではなく長編小説を書くことに専念した。「赤毛のアン」は数社の出版社から断られながらも、最後にはボストンのLCページ社で受け入れられた。この本は1908年に出版されるやいなや、たちまち大反響を呼んだ。

「赤毛のアン」はモンゴメリーの生活を変えた。彼女は突然有名作家となり、当時としては莫大な収入を得た。残る生涯、彼女は人気を保ち称賛された。オンタリオ州に家族と移り住んだモンゴメリーは1942年、トロントで死去。プリンスエドワード島キャベンディッシュの墓地に眠る。