モントリオールの街を歩いていると、「Opera de Montreal」の広告ポスターをよく目にするようになった。各演目に合わせたフェイス・アートが特徴になっていて、古い文化と新しい文化が融合しているこの街の特徴に合っているようだ。こういったビジュアル的な宣伝効果や関係者の情熱が功を奏しているなとつくづく感じる。

1980年にケベック州政府の後押しで「Opera de Montreal」が創立された。以来、年々、モントリオール市民の間でも気軽にオペラ公演に足を運ぶ層が広がってきた。

そして今シーズン、全6回公演の「マダム・バタフライ」(プッチーニ作曲)の主役、蝶々夫人を演じるために初めて日本人のソプラノ・オペラ歌手大村博美さんが迎えられた(大村さんはパリ郊外在住)。

モントリオールの地元メディアは「圧倒的な歌唱力と情感あふれる演技はすべての観客を魅了するものである」とこぞって絶賛した。

5月 日、モントリオール総領事公邸で初日の大成功を祝う祝賀会が催され、関係者が招待された。その席で、本紙は大村さんにインタビューした。

――モントリオールの印象は?

みなさんがとっても親切に接して下さってありがたいと思っています。

――観客の反応はいかがでしたか?

今回は若い学生の方達も大勢見にきて下さっているようで、最後のスタンディングオベーションも全員総立ちで長いこと拍手をして下さり、とても感動しました。

また、蝶々夫人が劇中でアメリカのシャープレス領事から年齢を問われて、両手で幅を作る仕草をしながら、自分の年齢が問われている年齢より上か下かを表現するシーンがあるのですが、そこで笑いが出たのが面白かったです。

――大村さんにとっての「マダム・バタフライ」、そして蝶々夫人とは?

2002年にデビューして以来、自分勝手な印象から、最初はどちらかというと、この役は避けていました。

外国人の男性に捨てられて自害するというラストが、なんだか女々しい感じがしてしまって、役柄としては魅力を感じていませんでした。

初めて蝶々夫人の役を演じたのが2004年フランスのリル歌劇場になりますが、事務所からそのオーディションに行くように薦められた際も、私が蝶々夫人を毛嫌いしていたのを知っていたので、何のオーディションか知らされずに出かけていったのです。

オーディションの会場では、私だけが「マダム・バタフライ」とは全く関係ない曲を歌ったんですよ。ですからきっと落ちるだろうなと思って会場を後にしたのですが、家に帰り着くやいなやのタイミングで事務所から電話が入り、「合格したよ!」と言われてびっくりしたのを覚えています。

それから、いつも役づくりを手伝って頂いている方と楽譜を読み込んでいるうちに、「あれ?」という気持ちになって…。歌いながら蝶々夫人の気持ちが痛いほど伝わってくるんですね。

蝶々夫人が自害したのは、実は女々しさからでなく、元は武士の出ということもあって、自分の操を守り通すという誠実さからなんだということも理解できました。

私の場合は、最初に楽譜を読んだ際に感情が移入されて涙が流れてこないと、なかなか役に入りこめないのですが、蝶々夫人の場合はそうやって役づくりをしていったので、それだけ愛着も深い役になっています。

――蝶々夫人は往年のオペラ歌手がたくさん演じていますが、特に大村さんが日本人としてこの役で工夫しているところはどこですか?

以前、アメリカ人のオペラ歌手が蝶々夫人を演じている舞台を見たことがありますが、意思表示の仕方に違和感を覚えたことがあります。その場面では、日本人だったらそんなはっきりした返事はしないな、とかですね。

自分が今まで生きてきた中で経験してきたことが、どこかで役の中に生かされていればいいなとは思っています。特に力を入れてこうしようと思うことはありません。

もちろん、今後、この役を演じて行く上で私の経験や考え方の変化がさらに生かされていくこともあるでしょうが、私自身はそれを楽しみにしています。

いろんな国で蝶々夫人を演じると、子役は現地の子供を使うので、私自身は結婚もしていませんし子供もいませんが、世界各国に自分の子供がいる感じがしています。

子供って、国は違ってもみな同じく純真で素直なんですよね。今年の4月にイスラエルのテルアビブで公演した際は、蝶々夫人が我が子と別れる場面のために「見て、海が奇麗ね」と言うヘブライ語を一生懸命覚えて子役の少年と交流を図りました。おかげで、会話でのコミュニケーションは出来なくても心が通じ合えたと思います。