教育環境・組織論講座で「アメリカにおける看護教育」をテーマに研究を開始。当時、これに関する日本語文献はなかったので、アメリカから原著を取り寄せることになる。英子さんは否が応でも英語と向き合わなければならなくなった。

在学中にアメリカの看護教育をリードしたコロンビア大学ティーチャーズカレッジ(ニューヨーク)を訪問したことにより、もっと実際のアメリカの看護を見てみたいという気持ちが強くなって大学院修了後に留学を決意したのである。38歳だった。

 
「語学試験は入学要件の最低ライン。授業を受けるには生きた英語力が必要です。当時の私は、アメリカに到着しても英語が通じず、せいぜいMy name is Eiko Toyosawaレベルでした」

まずフロリダ州立大学で6カ月間、語学を勉強。そしてウィスコンシン大学で1年間、特別研究生として学んだ。看護大学院コースで看護教育やリーダーシップ論、学部コースで論文作成のための英語文章法、医学専門用語(メディカル・タームノロジー)、音楽などを受講した。
 
「語学力の問題や講義の内容理解、予習・復習など、40歳の身にはたいへんでした。あまりにも筆記回数が多かったので右手でペンを持つことがもう限界にきていたほどです」

帰国前に大分大学に就職が決まる。1993年2月、大分大学に看護学科を新設するため看護学科設置準備室がオープン、そこの教員第1号として着任したのである。97年医学博士号を取得。98年、英子さんは初代学科長に就任、2002年まで務める。
大分大学は中国の河北医科大学と姉妹校で交流が盛んだ。英子さんは2000年に河北医科大学の名誉教授に任ぜられた。

01年カナダ・ハミルトンのマクマスター大学病院准教授、ドクター・ジョン・マーナと結婚、翌02年5月カナダへ移住した。夫のジョンさんはアイルランド系。マクマスター大学病院で画像診断医学の超音波専門家(スペシャリスト)として活躍している。

英子さんは03年から05年まで2年余にわたりマクマスター大学の非常勤講師として看護学生の教育にあたった。現在は日本の看護師、教員のマクマスター大学訪問、日本で開催される国際学会の日本語資料担当など、国際部門における日本プロジェクト活動に貢献している。

河北医科大学では年に1回、ジョンさんと共に講演を行う。臨床のナース、看護教員、看護学生を対象にオンタリオの医療政策、看護教育法、研究方法などを講義している。学生の博士論文の審査も行っている。